• 宅急便・ヤマトグループをご存知ない方へ | What's 宅急便 What's ヤマトグループ
  • 第1章 ヤマトグループが今、企業物流の常識を変える!
    • 物流版クラウド! 宅急便ネットワークが、企業物流を根本から変える!
    • リアル小売店の商圏を何倍にも広げる!ネットスーパー・サポート・サービス
  • 第2章 宅急便ネットワークがアジアに広がります
    • 台湾で上海でシンガポールで香港で ヤマト品質の宅急便が世界へ
    • コストと時間を短縮できる荷主のための物流拠点「羽田クロノゲート」オープン!
    • 電車で運ぶ「地球にやさしい」宅急便が京都に登場!
    • 震災で見えた!ヤマトのサービスは個人も企業も海外も1人のお客様との対話から
  • 第3章 ヤマトストラテジーの源流 宅急便の誕生
    • オンリーワンにしてナンバーワンは、戦前の路線便事業「ヤマト便」から始まった
    • スキー、ゴルフ、クール、コレクト――宅急便の新サービスが、食文化の変化や通販市場の拡大をもたらす
    • 「宅急便の次」をつくる体制をいま
  • 第4章『顧客創造』経営は、進化を止めない
    • 2つのお客様のために――荷主と受け取り手、双方のニーズで新サービス
    • お客様思考の追及は市場と社会を変える クール宅急便と食の市場/コレクトサービスと通販市場
    • 世界を目指す 羽田クロノゲートで国際物流の出入り口を
    • 宅急便よ、アジアへ羽ばたけ
  • 第5章 危機のときこそ、顧客のために、社会のために〜ヤマトストラテジーの魂〜東日本大震災の復興支援 ヤマトグループだからできることがある
    • 震災直後ヤマトグループが行ったこと
    • 物流のプロとして、一人の人間として、被災地へ
    • 宅急便1個10円の寄付で、東北の産業復興を
    • 見える支援、速い支援、効果の高いの支援を目指し助成先を決定
    • クロネコヤマトのDNA
  • 第6章 個人と企業と社会をつなぐプラットフォームを目指して 日本、そしてアジアのお客様の豊かな生活を実現するアジアNo.1の流通・生活支援ソリューションプロバイダーへ
    • グローバルでヤマトグループができること
    • 羽田クロノゲートが果たす、ロジスティクス・サービスとは
    • 国内で果たす 物流を超えるサービスとは
    • 人と人を結びつけるネットワーク ヤマトグループが目指すもの
第1章/第2章 第3章 第4章 第5章/第6章
ヤマトホールディングス
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YAMATO STRATEGY | 物流で日本と世界の未来を創る ヤマトグループの現在、歴史、そして明日
第3章 ヤマトストラテジーの源流 宅急便の誕生 || アジアの物流が、宅急便を核に「進化」する!ヤマトグループの国際戦略の今と未来
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「オンリーワンからナンバーワンへ」

ヤマトグループのビジネスを象徴する言葉である。誰も想像しなかったオンリーワンサービスをこの世に生み出して顧客を創造する。その上で市場でトップに立つ、ナンバーワン商品に育て上げる。

1976年、当時ヤマト運輸社長だった小倉昌男が"発明"した「クロネコヤマトの宅急便」がこの言葉を象徴する。
膨大なインフラ投資が必要でコストと手間がかかりすぎることから民間企業が誰も手をつけなかった全国を網羅する小口貨物の宅配サービス。それを具現化したことで、宅急便はまさしくオンリーワンの商品としてブルーオーシャンを開拓した。追従する企業が次々と現れて宅配便市場が形成された。
2010年現在、宅配便市場は年間32億個、ヤマトグループの宅急便は13億個を取り扱い、42%のシェアを占める(※)ナンバーワン商品である。日本人1人当たりで年間10個の宅急便を利用している計算になる。宅急便は、まさに生活に欠かせないインフラとなった。

けれども、この「オンリーワンからナンバーワンへ」の精神は、創業者小倉康臣自身がすでに戦前から体現していた。
オンリーワンになるためには、顧客以上に顧客の潜在ニーズについて考え抜いて、かたちにしなければならない。ナンバーワンになるためには、常にライバルよりも、顧客のためになるサービスを展開し続けなければならない。

「すべては顧客のために」というヤマトストラテジーの源流。いま、世界へ、企業物流へとネットワークを広げるヤマトグループの歴史はここから始まった。有富慶二ヤマトホールディングス相談役が、語る。

出典:平成22年度宅配便等取扱個数の調査(国土交通省より)

宅急便を"発明"した小倉昌男

トラックの前でポーズをとる、
ヤマト運輸創業者、小倉康臣(右端)

「大和運輸」時代の稼ぎ頭、
路線便の広告(1929年)

1976年 クロネコヤマトの宅急便が誕生

ヤマトグループは、常にオンリーワン=日本初のサービスを実現し、ナンバーワン=日本一の事業に育てることを目指してきました。
オンリーワンとは全く新しいサービスを世に提供してお客様の役に立つこと、ナンバーワンとはそのサービスを成長させることでさらにより多くのお客様の役に立つこと。つまり「オンリーワンからナンバーワンへ」とは、ヤマトストラテジーの柱である「すべては顧客のために」を体現するために必須の課題なのです。

この経営理念のもとに生まれたのが、1976年、当時の社長、小倉昌男が"発明"した「クロネコヤマトの宅急便」です。
それまで郵便小包しかなかった個人向けの小口配送事業に民間企業として初めて参入。3年で黒字化を達成し、1980年代半ばには郵便小包を追い抜き、多くの物流業者が参入して「個人向け宅配便市場」が生まれました。宅配便市場は2010年度で32億個規模。宅急便は13億個を扱いシェア42%(※前述)と宅配便市場日本一を保持しています。5万5000人のセールスドライバーと4万5000万台のトラックが日本全国を網羅し、どこでも15分で駆けつけられるサービスを具現化しようと体制を整えました。

まさにオンリーワンとして生まれ、ナンバーワンとなったサービス、それが宅急便なのです。

オンリーワンにしてナンバーワンは、「宅急便」以前、創業時の路線便事業「ヤマト便」から始まった

ヤマトグループは、そもそも創業当時から「オンリーワンからナンバーワンへ」を目指し、実現してきました。
1919年。30歳の誕生日を迎えた小倉康臣が始めた会社、それが大和運輸(現ヤマト運輸)でした。
日本に204台しかトラックがない時代に、4台を手に入れての起業ですから、当時としてはかなり思い切った先行投資を行ったわけです。1929年には、東京・横浜間で本格的な定期便を開始しました。これが日本初の路線便事業であるヤマト便です。それまで距離のある物流はもっぱら鉄道の仕事であり、トラック業者が中長距離の路線便を始めるのはエポックメイキングなことでした。
康臣の事業は成功し、ヤマト運輸は戦前日本一のトラック運送会社になったのです。

小倉康臣にしろ、小倉昌男にしろ、なぜヤマト運輸のトップが、オンリーワンのサービスにこだわり、ナンバーワンを目指し、その両方を実現したのか。

それは、物流という仕事が「世のため、人のため」にある、ということを明確に認識していたからです。
荷物を運ぶ物流という仕事は社会のインフラにあたります。インフラということは、誰もが利用できるような普遍的存在でなければなりません。しかもその上で、独自性のあるサービスが提供できなければ、事業として永続できません。つまりインフラビジネスは、常にオンリーワンであることとナンバーワンであることが同時に求められるのです。

ただし、「世のため、人のため」になる仕事をちゃんとビジネスとして成り立たせるには相当の工夫が必要です。たとえ、「世のため、人のため」になる仕事でも、事業として永続しなければ、結局本当に社会に役立つインフラとはなり得ないからです。
ヤマト運輸も平坦な道のりを歩んで、オンリーワンとナンバーワンを体現できたわけではありませんでした。

宅急便誕生前のヤマト運輸の経営危機

宅急便の誕生前の一時期、ヤマト運輸に経営危機が襲いかかりました。さまざまな小口荷物を混載して運ぶ小口混載の路線便ビジネスを旗印に始まったのが、戦前のヤマト便でした。オンリーワン商品であるヤマト便は、路線便市場を創り、ナンバーワンとなりました。が、市場が成熟するにつれ、問題が生じるようになりました。
営業現場が、楽に売り上げを出せる仕事に安易に飛びつき、その結果利益率を下げてしまったのです。

ヤマト運輸では、路線便ビジネスにおいて、小口のお客様を開拓し、一滴一滴雨だれを集めるように荷物を獲得することで利益率を向上させてきました。小口荷物の場合、競争も激しく常に値引きのある大口荷物に比べ、1個当たりの利益率が高いからです。ただしこのやり方は、荷物を集めるのに、とても手間がかかります。

そのため、現場の営業はいつしか、大企業の工場へトラックを横付けして、大量の荷物を積み込み、貸し切り状態で大量の荷物を一気に集める方を選ぶようになってしまいました。大口顧客の荷物でトラックを満載するのは、小口荷物を集めて満載するのに比べると、営業面から見たらはるかに楽です。つまり売り上げはあげやすくなる。けれども利益面で見るとデメリットが多いのです。

安易に売り上げをあげようと、現場の営業が大口の取引を優先し、その結果として、小口貨物が減って収益が悪化する――。この悪い循環を断つのはたやすいことではありません。営業に利益重視を徹底させようと、伝票1枚当たり5梱包以上の荷物=つまり大口顧客の荷物は運ばないように、という指示を本社から現場に出して、ますます混乱するという時期もありました。

一度転げ落ちる坂を再び上るのは極めて難しい。路線便で築いたヤマト運輸の収益は、当の路線便の利益が落ち込むことで、悪化の一途をたどりました。70年代初頭のころの話です。

小口開拓を徹底し、宅急便が生まれた

それまで、ヤマト運輸は小口混載の路線便で稼ぎ、一時は日本一のトラック会社になりました。それが安易な大口取引に頼ったために収益が悪化した。もはや小手先の策では立て直しは不可能です。

そんなときに、小口配送の原点に戻り、究極の小口配送を極めたらどうか、企業だけでなく個人のお客様に喜ばれる究極の物流サービス、荷物の送り手のニーズだけではなく、受け手のニーズも考え抜き、全国輸送網を有する国営の郵便事業よりもきめ細かな、まったく新しい物流サービスを始めよう、と考えた人間が登場します。小倉昌男です。

企業の大口契約を次々と終了し、背水の陣で臨み、1976年、小倉昌男のもとでスタートした新ビジネス。それがクロネコヤマトの宅急便でした。

送り手に対しては、わかりやすい価格体系、荷物一つからでも集荷する小口配送体制、そして翌日配送の迅速性を訴える。受け手に対しては玄関口まで確実にお届けするサービス水準の高さを売る。経営面では、手間はかかるが収益性の高い小口荷物を多数取り扱うことで、損益分岐点を超えた瞬間、劇的に利益率があがる商品設計をしました。

以上のサービスをゼロから構築するのは、現場にとっても経営にとっても極めて困難を伴う作業でした。しかし、結果として、小口荷物を好きなところに手軽に送ることができる、という潜在ニーズを掘り起こしました。宅急便は爆発的なヒットとなり、「宅配便市場」を生み、ライバル企業が次々と「クロネコヤマトの宅急便」に対抗して動物の名を冠して宅配便サービスを始めました。当時は「動物戦争」と呼ばれたものです。

宅急便の成功は、一度は沈みかけたヤマト運輸の現場を活性化させました。そして宅急便を核とした新しいサービスを現場と本社の双方が開発するようになりました。

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