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| ▲宅急便の生みの親、小倉昌男 |
1971年に社長になった小倉昌男は、ヤマト運輸が低収益である理由を追求します。そして、それまで業界の常識だった「小口荷物は、集荷・配達に手間がかかり採算が合わない。小さな荷物を何度も運ぶより、大口の荷物を一度に運ぶ方が合理的で得」という理屈が誤りだと気付いたのです。小倉は「小口の荷物の方が、1kg当たりの単価が高い。小口貨物をたくさん扱えば収入が多くなる」と確信し、75年の夏「宅急便開発要項」を社内発表しました。この要項には「基本的な考え方」として
[1]需要者の立場になってものを考える
[2]永続的・発展的システムとして捉える
[3]他より優れ、かつ均一的なサービスを保つ
[4]不特定多数の荷主または貨物を対象とする
[5]徹底した合理化を図る
が記されていました。
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| ▲宅急便マニュアル |
この宅急便の原点とも言える「5箇条」をもとに、若手社員を中心としたワーキンググループが新商品開発を進めたのです。
そして76年1月20日「電話1本で集荷・1個でも家庭へ集荷・翌日配達・運賃は安くて明瞭・荷造りが簡単」というコンセプトの商品『宅急便』が誕生したのでした。
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| 当時、一般個人がモノを送るためには郵便局に荷物を持っていく必要がありました。それでも郵便局が受け付けてくれるのは6kgまで。それ以上の場合は、しっかり梱包し紐をかけ、荷札をつけて国鉄の駅に持ち込まなければいけなかったのです。こうした状況を振り返って小倉は「私は、このマーケットは大変おもしろいと思っていた。なぜなら、競争相手がいないのです。一応2社あるが、どちらもあまりサービスが良くない。田舎から柿を送っても、東京にいつ着くのかはっきりしない。ここへ参入すれば、必ず成功すると確信しました(後略)」と述べています。 |
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